2023年12月06日
お城めぐり!156城目【丸根砦】
お城めぐりの156城目は、
名古屋市緑区にあります、丸根砦!

前回紹介しました鷲津砦と同じく、
今川氏の大高城に対抗するために、織田信長が築きました。
国の史跡に指定されております。
今年の大河ドラマどうする家康やその関連番組で、桶狭間の戦いがクローズアップされるたびに登場してきているでしょうし、
実際に訪れる方も多いのだと思います。
丸根砦の東側の公園の駐車場に止めて登城しました。
公園前から丸根砦を見上げる

入口付近で見下ろすと、小高い丘の上にあることがよくわかります。

急こう配の道を歩いて登ります。
丸根砦の中へ

土塁らしきものがグルっと

まっすぐ抜けると北側虎口へ抜けます

北側虎口から入ってすぐ右手に広い曲輪へ通ずる階段があり

曲輪には丸根砦戦没者慰霊碑があります

少し下りた腰曲輪らしきところに城址碑があります

北側虎口へ戻ります

案内看板があるので、本来こちらから見学する想定でしょうね

北から南へぐるっと廻り

南から東側の入口へ半周して戻りました

小さな砦にて、そんなに沢山の兵は居なかったと思います。
それでも要所に沢山の砦を築かれると、相手にとっては脅威でしょうね。
次回まで桶狭間の砦が続きます。
次回156城目は善照寺砦です!
いわけん城めぐりマップ
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名古屋市緑区にあります、丸根砦!

前回紹介しました鷲津砦と同じく、
今川氏の大高城に対抗するために、織田信長が築きました。
国の史跡に指定されております。
今年の大河ドラマどうする家康やその関連番組で、桶狭間の戦いがクローズアップされるたびに登場してきているでしょうし、
実際に訪れる方も多いのだと思います。
丸根砦の東側の公園の駐車場に止めて登城しました。
公園前から丸根砦を見上げる

入口付近で見下ろすと、小高い丘の上にあることがよくわかります。

急こう配の道を歩いて登ります。
丸根砦の中へ

土塁らしきものがグルっと

まっすぐ抜けると北側虎口へ抜けます

北側虎口から入ってすぐ右手に広い曲輪へ通ずる階段があり

曲輪には丸根砦戦没者慰霊碑があります

少し下りた腰曲輪らしきところに城址碑があります

北側虎口へ戻ります

案内看板があるので、本来こちらから見学する想定でしょうね

北から南へぐるっと廻り

南から東側の入口へ半周して戻りました

小さな砦にて、そんなに沢山の兵は居なかったと思います。
それでも要所に沢山の砦を築かれると、相手にとっては脅威でしょうね。
次回まで桶狭間の砦が続きます。
次回156城目は善照寺砦です!
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2023年11月18日
お城めぐり!155城目【鷲津砦】
お城めぐりの155城目は、
名古屋市緑区にあります、鷲津砦!

鷲津砦は前回UPしました、今川氏が築いた大高城に対するために織田信長が築きました。
国の史跡に指定されております。
今年の大河ドラマどうする家康である程度注目されたことでしょう!
大高城から700m、大高駅から坂を上がりますが歩いて行けます。
現在は鷲津砦公園として整備、
遊具がある1角に案内看板



史跡散策コースの案内。大高駅→鷲津砦→丸根砦へと歩いて行けます。

砦入口にある鷲津砦公園の案内図

砦は小さな山の傾斜地にあることが中へ入るとよくわかります

遊具のある敷地との間に土塁があります

堀っぽいけど、自然の地形かな?堀や土塁じゃないかって目線で見てしまいます。

鷲津砦址碑

少し平坦な曲輪と思われるところもちらほらと

土塁は結構な範囲で残っています

大高駅から近いので、大高城とセットでどうですか?
ササっと見たところで、こちらもセットで訪れたい
次回156城目は、桶狭間の砦繋がりで、丸根砦です!
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名古屋市緑区にあります、鷲津砦!

鷲津砦は前回UPしました、今川氏が築いた大高城に対するために織田信長が築きました。
国の史跡に指定されております。
今年の大河ドラマどうする家康である程度注目されたことでしょう!
大高城から700m、大高駅から坂を上がりますが歩いて行けます。
現在は鷲津砦公園として整備、
遊具がある1角に案内看板



史跡散策コースの案内。大高駅→鷲津砦→丸根砦へと歩いて行けます。

砦入口にある鷲津砦公園の案内図

砦は小さな山の傾斜地にあることが中へ入るとよくわかります

遊具のある敷地との間に土塁があります

堀っぽいけど、自然の地形かな?堀や土塁じゃないかって目線で見てしまいます。

鷲津砦址碑

少し平坦な曲輪と思われるところもちらほらと

土塁は結構な範囲で残っています

大高駅から近いので、大高城とセットでどうですか?
ササっと見たところで、こちらもセットで訪れたい
次回156城目は、桶狭間の砦繋がりで、丸根砦です!
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2023年06月10日
お城めぐり!154城目【大高城】
お城めぐりの154城目は、
愛知県名古屋市にあります大高城!

大高城は、桶狭間の戦い時に家康が今川軍として兵糧を入れたとされているお城で知られておりますね。
今年の大河ドラマ「どうする家康」に、第1回の1番最初に登場した城で、
実際ドラマでも家康が兵糧を入れたシーンがありました。
国の史跡に指定されております。
大高城へは駐車場が無い為、大高駅から歩く事をおススメします。
住宅街の狭い街を抜けると

小高い丘へ登る様な道が伸びており、大高城址公園の入口となっております。

大高城の案内が入口付近左手にあります



右手に大高城址碑と

別の案内

更に右手は別の入口(1周回れるようになっているのでどちらからもで行ける)

正面の坂を進みます

登りきると広い曲輪に出ます。本丸(下段)だと思われます

更に奥へ続き

右手の高いところは本丸の上段

本丸上段へ

本丸上段には城山八幡社があります

本丸から二の丸方面へ

右手が本丸上段で左側が腰曲輪かな?

土橋を渡ります

土橋から見る空堀・・・木でよくわかりませんね・・・結構深いです

二の丸


三の丸かどうか分かりませんが、曲輪です

大高城北側の景観

曲輪から見た空堀!

空堀に入った方が分かり易いですね。

本丸から二の丸、三の丸?と1周して、また本丸上段東の腰曲輪っぽいところへ出ます

そのまま下り、大高城を後に・・・

少し離れたところから大高城

中央の木々生い茂っているところが大高城
次回155城目は、桶狭間の戦い繋がりで、鷲津砦・丸根砦・善照寺砦の一気に3砦が登場です!
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愛知県名古屋市にあります大高城!

大高城は、桶狭間の戦い時に家康が今川軍として兵糧を入れたとされているお城で知られておりますね。
今年の大河ドラマ「どうする家康」に、第1回の1番最初に登場した城で、
実際ドラマでも家康が兵糧を入れたシーンがありました。
国の史跡に指定されております。
大高城へは駐車場が無い為、大高駅から歩く事をおススメします。
住宅街の狭い街を抜けると

小高い丘へ登る様な道が伸びており、大高城址公園の入口となっております。

大高城の案内が入口付近左手にあります



右手に大高城址碑と

別の案内

更に右手は別の入口(1周回れるようになっているのでどちらからもで行ける)

正面の坂を進みます

登りきると広い曲輪に出ます。本丸(下段)だと思われます

更に奥へ続き

右手の高いところは本丸の上段

本丸上段へ

本丸上段には城山八幡社があります

本丸から二の丸方面へ

右手が本丸上段で左側が腰曲輪かな?

土橋を渡ります

土橋から見る空堀・・・木でよくわかりませんね・・・結構深いです

二の丸


三の丸かどうか分かりませんが、曲輪です

大高城北側の景観

曲輪から見た空堀!

空堀に入った方が分かり易いですね。

本丸から二の丸、三の丸?と1周して、また本丸上段東の腰曲輪っぽいところへ出ます

そのまま下り、大高城を後に・・・

少し離れたところから大高城

中央の木々生い茂っているところが大高城
次回155城目は、桶狭間の戦い繋がりで、鷲津砦・丸根砦・善照寺砦の一気に3砦が登場です!
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2023年05月09日
お城めぐり!153城目【諏訪原城】
お城めぐりの153城目は、
静岡県島田市にあります諏訪原城

諏訪原城は1573年に武田勝頼が馬場信春に築かせたと言われております。
巨大な丸馬出しが幾つもあるのが特徴的な土の城。
国の史跡に指定されており、続日本100名城にも選定されております。
諏訪原城へは続日本100名城選定前に3回、その後1回と、今まで4回訪れております。
季節もバラバラですが、最初に行った時の写真を中心に、後に行った写真も合わせて掲載していきます。
現在は諏訪原城ビジターセンターがある様ですが、当時は駐車場があり、目の前は大手曲輪南の外堀あります


大手曲輪には茶畑が広がり、その間を抜けます

大手曲輪には武家屋敷があったようです

大手曲輪北の外堀

外堀を突っ切ると諏訪原城址碑

諏訪原城の説明看板

縄張り図

そして右手の堀沿いに進むと

大きな二の曲輪中馬出が現れます

馬出しの堀は深くては幅も広い

草で良く見えないので別日に来た時の写真

多少埋まっていると思うので、本当はもっと深く、堀の内側には高い土塁があったと思われます

奥へ進み逆から見た二の曲輪中馬出し


更に奥にはニの曲輪北馬出しがあります

二の曲輪北馬出しの堀

二の曲輪北馬出しから天気が良ければ富士山が見えます

私は1/2の確率で見えました。(4回中2回)

現在は二の曲輪北馬出しには薬医門が復元されています


門を額縁に富士山が見えます!


二の曲輪中馬出しの内側から見たところ。本来奥には土塁があったと思われます

馬出しと二の曲輪の間の堀



二の曲輪

二の曲輪は南北に広い黒輪ですが、この時は雑草が生い茂っておりました。

冬の別日に来た時は草も刈られ地形が良く分かりました


こちらの本曲輪の空堀も最初来た時は雑草が良く伸びていましたが

別日に来た時は良く刈られ堀の形状に幅や深さのも良く分かりました


本丸へ

二の曲輪から本曲輪へ通ずる土橋

本曲輪を更に東の奥へ


天守台跡


奥の1段高いところが天守台

天守台を抜け本曲輪の東側は土塁が回っております

北東の角は搦手口

本曲輪の南東部に方角が分かる看板があります

本曲輪東側からの景色が最高です。島田市街に金谷駅、天気が良ければ富士山も見えます

別日に貨物列車が見えました

景色をしばらく眺め、本曲輪から二の曲輪の南側へ向かいます


1度堀へ下りるルートとなり、堀底にカンカン井戸があります

別日のカンカン井戸

奥の雑草が刈られ堀の形状が分かり易いです、そのまま奥へ進むと、二の曲輪と本曲輪を結ぶ土橋にぶつかります。

堀を登り

二の曲輪南側へ

そのままニの曲輪を横切るニの曲輪大手馬出しへ通ずる土橋

土橋を渡り、ニの曲輪大手馬出しへ。

土橋から見た北側の堀。この写真の奥に最初に通ったルートの茶畑と城址碑等があります。

二の曲輪大手馬出しには、現在も諏訪原城の名の元となったと言われる諏訪大明神が祀られています


二の曲輪大手馬出しの堀


更に東の奥にある馬出しへ向かいます
二の曲輪南馬出し

二の曲輪東内馬出しへ通ずる土橋

ここで南とか大手とか東とか訳が分からなくなっている方へ。縄張り図。

二の曲輪の周りに馬出しが沢山あるので、ニの曲輪が頭についており、
・一番大きな馬出しがニの曲輪中馬出し、
・門が復元されたのがニの曲輪北馬出し
・諏訪大明神が祀られているのが、ニの曲輪大手馬出し
先程紹介したのが二の曲輪南馬出しで、
二の曲輪南馬出し、ニの曲輪東内馬出し、ニの曲輪東馬出しは3つ繋がっております。
ちなみにこちらの写真は私ですが、二の曲輪南馬出しで撮影。
手の差す堀はニの曲輪の外堀で、左手奥に二の曲輪大手馬出し(諏訪大明神)があります。

位置関係分かりますかね?
実際、縄張り図を持ってあるかないと分からないでしょうが・・・
私も訳が分からなくなる前に、先へ進めます
二の曲輪南馬出しから更に東へ向かい、二の曲輪東馬出しへ
左側が二の曲輪東内馬出し、右手に二の曲輪東馬出し

この堀も深さも幅もある大きな堀です

二の曲輪東内馬出しの土塁

二の曲輪東内馬出しから見た堀と対岸はニの曲輪東馬出し

二の曲輪東内馬出しにあった古い看板

続日本100名城のスタンプはガイダンス施設が出来る前はスチールの引出が野ざらしでした


ガイダンス施設が出来てからいった事がないので、また行ってみたいと思います。
車で行く場合はガイダンス施設の駐車場へ。
電車の方は、金谷駅から徒歩で

トンネルの上を通り抜けられるので、ホームと一緒に富士山を撮影できます

ホームから見るとこちらの方向

旧東海道の石畳を登っていきます

諏訪原城を見学したら、諏訪原城ビジターセンターの近くにあるカフェをオススメします

お店の雰囲気も良かったですし、コーヒーも美味しかったです

脱線しますが、金谷駅には大井川鉄道も乗り入れており、近鉄や南海の古い車両に乗ることが出来ます

大井川鉄道と言えばSLも有名ですので、諏訪原城とセットで行くのも有かと。
更に脱線しますが、何年か前に島田市金谷公民館での歴史講演会に参加

金谷駅から大井川鉄道で1駅か2駅?乗車し公民館へ

三浦正幸先生による講演でした

二の曲輪北馬出しに復元された薬医門は三浦先生の設計により復元されたそうで、
門を締めた時にピッタリ締まると、槍や剣が挟まると、また開けられてしまう可能性があるので、
隙間を1寸(約3センチ)あえて作ったそうです

確かに隙間がありました

脱線から少し戻しまして、私が行った時は薬医門単体でしたが、現在は塀も増設されてるみたいです。
ビジターセンターと門を見にまた行かねば!
私も大好きなお城の1つである、諏訪原城!
めちゃくちゃオススメしますので、ご興味を持たれた方、SL乗車のついで?にいかが?
次回154城目は大高城です!
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静岡県島田市にあります諏訪原城

諏訪原城は1573年に武田勝頼が馬場信春に築かせたと言われております。
巨大な丸馬出しが幾つもあるのが特徴的な土の城。
国の史跡に指定されており、続日本100名城にも選定されております。
諏訪原城へは続日本100名城選定前に3回、その後1回と、今まで4回訪れております。
季節もバラバラですが、最初に行った時の写真を中心に、後に行った写真も合わせて掲載していきます。
現在は諏訪原城ビジターセンターがある様ですが、当時は駐車場があり、目の前は大手曲輪南の外堀あります


大手曲輪には茶畑が広がり、その間を抜けます

大手曲輪には武家屋敷があったようです

大手曲輪北の外堀

外堀を突っ切ると諏訪原城址碑

諏訪原城の説明看板

縄張り図

そして右手の堀沿いに進むと

大きな二の曲輪中馬出が現れます

馬出しの堀は深くては幅も広い

草で良く見えないので別日に来た時の写真

多少埋まっていると思うので、本当はもっと深く、堀の内側には高い土塁があったと思われます

奥へ進み逆から見た二の曲輪中馬出し


更に奥にはニの曲輪北馬出しがあります

二の曲輪北馬出しの堀

二の曲輪北馬出しから天気が良ければ富士山が見えます

私は1/2の確率で見えました。(4回中2回)

現在は二の曲輪北馬出しには薬医門が復元されています


門を額縁に富士山が見えます!


二の曲輪中馬出しの内側から見たところ。本来奥には土塁があったと思われます

馬出しと二の曲輪の間の堀



二の曲輪

二の曲輪は南北に広い黒輪ですが、この時は雑草が生い茂っておりました。

冬の別日に来た時は草も刈られ地形が良く分かりました


こちらの本曲輪の空堀も最初来た時は雑草が良く伸びていましたが

別日に来た時は良く刈られ堀の形状に幅や深さのも良く分かりました


本丸へ

二の曲輪から本曲輪へ通ずる土橋

本曲輪を更に東の奥へ


天守台跡


奥の1段高いところが天守台

天守台を抜け本曲輪の東側は土塁が回っております

北東の角は搦手口

本曲輪の南東部に方角が分かる看板があります

本曲輪東側からの景色が最高です。島田市街に金谷駅、天気が良ければ富士山も見えます

別日に貨物列車が見えました

景色をしばらく眺め、本曲輪から二の曲輪の南側へ向かいます


1度堀へ下りるルートとなり、堀底にカンカン井戸があります

別日のカンカン井戸

奥の雑草が刈られ堀の形状が分かり易いです、そのまま奥へ進むと、二の曲輪と本曲輪を結ぶ土橋にぶつかります。

堀を登り

二の曲輪南側へ

そのままニの曲輪を横切るニの曲輪大手馬出しへ通ずる土橋

土橋を渡り、ニの曲輪大手馬出しへ。

土橋から見た北側の堀。この写真の奥に最初に通ったルートの茶畑と城址碑等があります。

二の曲輪大手馬出しには、現在も諏訪原城の名の元となったと言われる諏訪大明神が祀られています


二の曲輪大手馬出しの堀


更に東の奥にある馬出しへ向かいます
二の曲輪南馬出し

二の曲輪東内馬出しへ通ずる土橋

ここで南とか大手とか東とか訳が分からなくなっている方へ。縄張り図。

二の曲輪の周りに馬出しが沢山あるので、ニの曲輪が頭についており、
・一番大きな馬出しがニの曲輪中馬出し、
・門が復元されたのがニの曲輪北馬出し
・諏訪大明神が祀られているのが、ニの曲輪大手馬出し
先程紹介したのが二の曲輪南馬出しで、
二の曲輪南馬出し、ニの曲輪東内馬出し、ニの曲輪東馬出しは3つ繋がっております。
ちなみにこちらの写真は私ですが、二の曲輪南馬出しで撮影。
手の差す堀はニの曲輪の外堀で、左手奥に二の曲輪大手馬出し(諏訪大明神)があります。

位置関係分かりますかね?
実際、縄張り図を持ってあるかないと分からないでしょうが・・・
私も訳が分からなくなる前に、先へ進めます
二の曲輪南馬出しから更に東へ向かい、二の曲輪東馬出しへ
左側が二の曲輪東内馬出し、右手に二の曲輪東馬出し

この堀も深さも幅もある大きな堀です

二の曲輪東内馬出しの土塁

二の曲輪東内馬出しから見た堀と対岸はニの曲輪東馬出し

二の曲輪東内馬出しにあった古い看板

続日本100名城のスタンプはガイダンス施設が出来る前はスチールの引出が野ざらしでした


ガイダンス施設が出来てからいった事がないので、また行ってみたいと思います。
車で行く場合はガイダンス施設の駐車場へ。
電車の方は、金谷駅から徒歩で

トンネルの上を通り抜けられるので、ホームと一緒に富士山を撮影できます

ホームから見るとこちらの方向

旧東海道の石畳を登っていきます

諏訪原城を見学したら、諏訪原城ビジターセンターの近くにあるカフェをオススメします

お店の雰囲気も良かったですし、コーヒーも美味しかったです

脱線しますが、金谷駅には大井川鉄道も乗り入れており、近鉄や南海の古い車両に乗ることが出来ます

大井川鉄道と言えばSLも有名ですので、諏訪原城とセットで行くのも有かと。
更に脱線しますが、何年か前に島田市金谷公民館での歴史講演会に参加

金谷駅から大井川鉄道で1駅か2駅?乗車し公民館へ

三浦正幸先生による講演でした

二の曲輪北馬出しに復元された薬医門は三浦先生の設計により復元されたそうで、
門を締めた時にピッタリ締まると、槍や剣が挟まると、また開けられてしまう可能性があるので、
隙間を1寸(約3センチ)あえて作ったそうです

確かに隙間がありました

脱線から少し戻しまして、私が行った時は薬医門単体でしたが、現在は塀も増設されてるみたいです。
ビジターセンターと門を見にまた行かねば!
私も大好きなお城の1つである、諏訪原城!
めちゃくちゃオススメしますので、ご興味を持たれた方、SL乗車のついで?にいかが?
次回154城目は大高城です!
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2023年04月03日
お城めぐり!152城目【横須賀城】
お城めぐりの152城目は、
静岡県掛川市にある横須賀城です!

横須賀城は、前回の高天神城を家康が奪い返すために築かせた城で知られております。
国の史跡に指定されています。
高天神城とセットで攻める事をオススメします。
横須賀城へはバスでは本数が少ないので、車で行きました。
公園として中心部が整備されており、西の丸下に駐車場があります。
南へ周り、公園の入口から攻めます

本丸南下門


横須賀城の特徴の一つである、玉石で築かれた石垣が目に飛び込んできます

本丸石垣。

本丸下の腰曲輪を東へ

右手には堀のとなる三日月池



三日月池中段には砂利敷きがあったそうで、復元されていました


三日月池前から本丸の石垣を望む

本丸へ行く前に本丸東側を抜け

北の丸方面へ

広い北の丸

北の丸から見た本丸

建物の跡を一部復原表示


排水の石列の部分復原


更に奥の松尾山へ


築城当初は松尾山が本丸だったとか

荒れ放題の敷地に見えますが、広い広い曲輪です

その奥に平坦な建物の復原跡が

多門櫓があったそうです


本丸へ向かいます。
本丸東側を見下ろす。斜面は削ってかなり急な切岸。

それにしても本当に丸い玉石です。加工せずに丸い石をそのまま石垣に用いたものと思われます。

本丸天守台



天守台から出た遺構の説明


横須賀城址碑

とても分かり易い、復原模型と横須賀城の説明






西の丸から本丸方面

公園内でお祭りか何かのイベントの準備中で布がユラユラと

西の丸の北側。腰曲輪が広がります

西の丸を西の二の丸方面(駐車場側)へ下ります


西の丸の西側下には腰曲輪があり、

北側まで続いております

西の丸の石段の説明


駐車場にある縄張り図

北側には米倉

更に西は二の丸

玉石を用いた石垣はあまり例がないのと、とてもよく整備されているので城郭の規模や曲輪の大きさもリアルに体感できる素敵なお城にて、
是非、高天神城とセットで攻めていただければと思います。
次回153城目は、諏訪原城です!
いわけん城めぐりマップ
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静岡県掛川市にある横須賀城です!

横須賀城は、前回の高天神城を家康が奪い返すために築かせた城で知られております。
国の史跡に指定されています。
高天神城とセットで攻める事をオススメします。
横須賀城へはバスでは本数が少ないので、車で行きました。
公園として中心部が整備されており、西の丸下に駐車場があります。
南へ周り、公園の入口から攻めます

本丸南下門


横須賀城の特徴の一つである、玉石で築かれた石垣が目に飛び込んできます

本丸石垣。

本丸下の腰曲輪を東へ

右手には堀のとなる三日月池



三日月池中段には砂利敷きがあったそうで、復元されていました


三日月池前から本丸の石垣を望む

本丸へ行く前に本丸東側を抜け

北の丸方面へ

広い北の丸

北の丸から見た本丸

建物の跡を一部復原表示


排水の石列の部分復原


更に奥の松尾山へ


築城当初は松尾山が本丸だったとか

荒れ放題の敷地に見えますが、広い広い曲輪です

その奥に平坦な建物の復原跡が

多門櫓があったそうです


本丸へ向かいます。
本丸東側を見下ろす。斜面は削ってかなり急な切岸。

それにしても本当に丸い玉石です。加工せずに丸い石をそのまま石垣に用いたものと思われます。

本丸天守台



天守台から出た遺構の説明


横須賀城址碑

とても分かり易い、復原模型と横須賀城の説明






西の丸から本丸方面

公園内でお祭りか何かのイベントの準備中で布がユラユラと

西の丸の北側。腰曲輪が広がります

西の丸を西の二の丸方面(駐車場側)へ下ります


西の丸の西側下には腰曲輪があり、

北側まで続いております

西の丸の石段の説明


駐車場にある縄張り図

北側には米倉

更に西は二の丸

玉石を用いた石垣はあまり例がないのと、とてもよく整備されているので城郭の規模や曲輪の大きさもリアルに体感できる素敵なお城にて、
是非、高天神城とセットで攻めていただければと思います。
次回153城目は、諏訪原城です!
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2023年03月07日
お城めぐり!151城目【高天神城】
お城めぐりの151城目は、
静岡県掛川市にあります、高天神城です!

高天神城は城好きからすると一度は行きたい城の一つになろうかと思います。
山全体を城郭とした造りそのものや、曲輪に土塁に堀切などの遺構が比較的よく確認出来るお城です。
歴史好きからしても、信玄が落とせず、勝頼が落としたが、後に家康に落とされ、武田氏衰退の始まりとも言われており、
重要な場所であった事で知られております。
今川→徳川→武田→徳川と戦国時代に目まぐるしく奪い合った、戦った城として私も好きなお城です。
国の史跡であり、続日本100名城にも選定されております。
今年の大河ドラマ「どうする家康」にも多分登場するかと思われます(2023年3月6日現在まだ出てきておりません)
その高天神城へ初めて行ったのは2016年10月。
まだ続日本100名城選定前でした。
高天神城へは車で向かいました。
※最寄り駅から遠いし、バスの本数も少ないので
大手からも搦め手からも入れますが、
ナビの進めた搦め手へ
大きな案内が出ているので迷わず行けます

搦め手の方が駐車場が多く、止めやすいと思います。
搦め手入口にはとてもイメージし易い想像図が

現在でも高天神社があり、搦め手が参道になっております


古い案合図

搦め手門の案内


距離はありませんが、意外と急な坂を上ります。坂を見下ろしたところ

最初の曲輪に上がる前に三日月井戸があります

三日月の形をしており

金魚も泳いでいました

登りきると広い井戸曲輪へ

まずは本丸ではなく西の丸方面へ
井戸曲輪だけに井戸があります

かな井戸と呼ばれているのは、井戸水に鉄分が含まれていたからとか・・・と現地の案内にありましたが・・・ちょっと無理があるか?

この急な階段の先に西の丸

階段左手の脇道には公衆トイレがあります(参考まで)

階段を上ります

西の丸到着


西の丸は2段になっております

建物の周りには土塁がまわっておりました

西の丸を先に進むと、馬場平と呼ばれる曲輪へ続きますが、
西の丸とその馬場平との間に、大きな切割(堀切)があります。手前が西の丸で向こう側が馬場平。その間を掘り下げてあるのが良く分かります。

堀底から見ても、掘り下げ感が分かるかと

切割を抜けると馬場平へ


現在展望台になっております


更に奥へ抜ける道がありまして

甚五郎抜け道と呼ばれております

馬場平の南側は厳しい崖になっており、攻めにくさが伝わって来ます。

井戸曲輪へ戻り、西の丸北にある二の丸方面へ
二の丸


袖曲輪

堂の尾曲輪の堀横に天正二年武田軍に攻められた時のに討ち死にした戦死者や武将の碑があります


袖曲輪と堂の尾曲輪の堀切

堂の尾曲輪に沿って空堀が巡らされています



井楼曲輪まで続いております


井楼曲輪と堂の尾曲輪の堀切

堀切を頑張って登り、堂の尾曲輪へ


堂の尾曲輪を二の丸方面へ戻り、最初に見た袖曲輪との間の堀切を見下ろす


曲輪を下りて再度堀切の深さを確認

深さとか言いながら、登ったり下りたりが出来てしまっていますが、実際はそんなことをやっている間に撃ち落されているでしょう。
再び井戸曲輪へ戻り、本丸方面へ

古いが縄張りと攻防の様子と、年表が分かり易く描かれている看板です

本丸1段下の的場曲輪

いよいよ本丸へ攻め入ります


本丸


高天神城址碑

本丸土塁

本丸から御前曲輪方面

本丸からの景観

本丸と御前曲輪の一角に元天神社

御前曲輪

ここには戦前模擬天守が建っていたそで、基礎だけが残っています

昔のコンクリートは川砂利が多いですね。どうでも良い事ですが・・・

御前曲輪の1段下は三の丸

三の丸へ向けて下ります

三の丸

三の丸土塁


三の丸の東屋にある案内

三の丸にもトイレがあります

トイレが要所にあるので安心ですね!
ちなみに、余談ですが搦め手駐車場にもありますし

大手側の駐車場にもあります

大手登り口

大手口にある案内図

徳川が奪って、取られて、取り返した城にて、
どうする家康でどのように描かれるのか、楽しみですね。
一城別郭の城と言われた高天神城、私も好きな城にてオススメします!
次回152城目は、高天神城とセットで見たい、家康が奪い返す時に築いた城、横須賀城です!
いわけん城めぐりマップ
過去の城めぐり一覧はこちら
静岡県掛川市にあります、高天神城です!

高天神城は城好きからすると一度は行きたい城の一つになろうかと思います。
山全体を城郭とした造りそのものや、曲輪に土塁に堀切などの遺構が比較的よく確認出来るお城です。
歴史好きからしても、信玄が落とせず、勝頼が落としたが、後に家康に落とされ、武田氏衰退の始まりとも言われており、
重要な場所であった事で知られております。
今川→徳川→武田→徳川と戦国時代に目まぐるしく奪い合った、戦った城として私も好きなお城です。
国の史跡であり、続日本100名城にも選定されております。
今年の大河ドラマ「どうする家康」にも多分登場するかと思われます(2023年3月6日現在まだ出てきておりません)
その高天神城へ初めて行ったのは2016年10月。
まだ続日本100名城選定前でした。
高天神城へは車で向かいました。
※最寄り駅から遠いし、バスの本数も少ないので
大手からも搦め手からも入れますが、
ナビの進めた搦め手へ
大きな案内が出ているので迷わず行けます

搦め手の方が駐車場が多く、止めやすいと思います。
搦め手入口にはとてもイメージし易い想像図が

現在でも高天神社があり、搦め手が参道になっております


古い案合図

搦め手門の案内


距離はありませんが、意外と急な坂を上ります。坂を見下ろしたところ

最初の曲輪に上がる前に三日月井戸があります

三日月の形をしており

金魚も泳いでいました

登りきると広い井戸曲輪へ

まずは本丸ではなく西の丸方面へ
井戸曲輪だけに井戸があります

かな井戸と呼ばれているのは、井戸水に鉄分が含まれていたからとか・・・と現地の案内にありましたが・・・ちょっと無理があるか?

この急な階段の先に西の丸

階段左手の脇道には公衆トイレがあります(参考まで)

階段を上ります

西の丸到着


西の丸は2段になっております

建物の周りには土塁がまわっておりました

西の丸を先に進むと、馬場平と呼ばれる曲輪へ続きますが、
西の丸とその馬場平との間に、大きな切割(堀切)があります。手前が西の丸で向こう側が馬場平。その間を掘り下げてあるのが良く分かります。

堀底から見ても、掘り下げ感が分かるかと

切割を抜けると馬場平へ


現在展望台になっております


更に奥へ抜ける道がありまして

甚五郎抜け道と呼ばれております

馬場平の南側は厳しい崖になっており、攻めにくさが伝わって来ます。

井戸曲輪へ戻り、西の丸北にある二の丸方面へ
二の丸


袖曲輪

堂の尾曲輪の堀横に天正二年武田軍に攻められた時のに討ち死にした戦死者や武将の碑があります


袖曲輪と堂の尾曲輪の堀切

堂の尾曲輪に沿って空堀が巡らされています



井楼曲輪まで続いております


井楼曲輪と堂の尾曲輪の堀切

堀切を頑張って登り、堂の尾曲輪へ


堂の尾曲輪を二の丸方面へ戻り、最初に見た袖曲輪との間の堀切を見下ろす


曲輪を下りて再度堀切の深さを確認

深さとか言いながら、登ったり下りたりが出来てしまっていますが、実際はそんなことをやっている間に撃ち落されているでしょう。
再び井戸曲輪へ戻り、本丸方面へ

古いが縄張りと攻防の様子と、年表が分かり易く描かれている看板です

本丸1段下の的場曲輪

いよいよ本丸へ攻め入ります


本丸


高天神城址碑

本丸土塁

本丸から御前曲輪方面

本丸からの景観

本丸と御前曲輪の一角に元天神社

御前曲輪

ここには戦前模擬天守が建っていたそで、基礎だけが残っています

昔のコンクリートは川砂利が多いですね。どうでも良い事ですが・・・

御前曲輪の1段下は三の丸

三の丸へ向けて下ります

三の丸

三の丸土塁


三の丸の東屋にある案内

三の丸にもトイレがあります

トイレが要所にあるので安心ですね!
ちなみに、余談ですが搦め手駐車場にもありますし

大手側の駐車場にもあります

大手登り口

大手口にある案内図

徳川が奪って、取られて、取り返した城にて、
どうする家康でどのように描かれるのか、楽しみですね。
一城別郭の城と言われた高天神城、私も好きな城にてオススメします!
次回152城目は、高天神城とセットで見たい、家康が奪い返す時に築いた城、横須賀城です!
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2023年01月30日
お城めぐり!150城目【井伊谷城】
お城めぐりの150城目は、
静岡県浜松市北区引佐町にあります、井伊谷城!

徳川四天王の一人、井伊直政で知られる井伊家の居城。
最近では2017年に放送された大河ドラマ「おんな城主直虎」で注目を集めました。
井伊谷城へは大河ドラマ「おんな城主直虎」が放送される前の年、
2016年のゴールデンウィークに行きました。
ナビと看板をたよりに到着

放送の1年も前に直虎の旗が建っていたのが印象的でした

こちらが井伊谷城のある城山公園入口

井伊谷城というよりも、井伊氏の説明看板

5分程度で登ったと記憶してますが、毎度残りの距離があると目安になり助かります

主郭到着

単郭でぐるりと土塁が築かれております

東西の方が長い郭です。

北側は1段高くなっております

御所の丸と呼ばれる郭だったようです


御所の丸から主郭を見下ろす。1段高い事がよくわかります

古い説明看板には本丸、二の丸、三の丸とありますが、基本的には単郭と思われます。御所の丸を二の丸か三の丸に見立てたかな?

新しい説明看板

主郭には展望台?見晴台?があります

井伊谷城下が良く見えませんが、見下ろします

城山公園にはトイレもあります。

西側の土塁も見て

下山し、井伊谷城とはお別れ

ここからは、ついでの井伊家の菩提寺である龍潭寺へ

参道から入ります

古そうな土塀

と思ったら、やっぱりそうでした

立派な門です

こちらの竹垣の奥の太い木

井伊直政が幼少の頃に安泰を念じて植えられた樹齢400年以上の梛(なぎ)の木だそうです

中へ入ります

雰囲気の良い回廊。城郭の御殿の廊下に見えてきてしまいます

縁側の床板や敷居の木も年季を感じます

井伊家の籠

そして、龍潭寺と言えばこちらの庭


みなさん、ゆっくり見とれていました

井伊家赤備具足(あかぞなえぐそく)

堂々の徳川四天王 井伊直政出生地碑

素敵な龍潭寺でした

井伊谷城とセットで行くと良いかと思います。
次回151城目は高天神城です!
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静岡県浜松市北区引佐町にあります、井伊谷城!

徳川四天王の一人、井伊直政で知られる井伊家の居城。
最近では2017年に放送された大河ドラマ「おんな城主直虎」で注目を集めました。
井伊谷城へは大河ドラマ「おんな城主直虎」が放送される前の年、
2016年のゴールデンウィークに行きました。
ナビと看板をたよりに到着

放送の1年も前に直虎の旗が建っていたのが印象的でした

こちらが井伊谷城のある城山公園入口

井伊谷城というよりも、井伊氏の説明看板

5分程度で登ったと記憶してますが、毎度残りの距離があると目安になり助かります

主郭到着

単郭でぐるりと土塁が築かれております

東西の方が長い郭です。

北側は1段高くなっております

御所の丸と呼ばれる郭だったようです


御所の丸から主郭を見下ろす。1段高い事がよくわかります

古い説明看板には本丸、二の丸、三の丸とありますが、基本的には単郭と思われます。御所の丸を二の丸か三の丸に見立てたかな?

新しい説明看板

主郭には展望台?見晴台?があります

井伊谷城下が良く見えませんが、見下ろします

城山公園にはトイレもあります。

西側の土塁も見て

下山し、井伊谷城とはお別れ

ここからは、ついでの井伊家の菩提寺である龍潭寺へ

参道から入ります

古そうな土塀

と思ったら、やっぱりそうでした

立派な門です

こちらの竹垣の奥の太い木

井伊直政が幼少の頃に安泰を念じて植えられた樹齢400年以上の梛(なぎ)の木だそうです

中へ入ります

雰囲気の良い回廊。城郭の御殿の廊下に見えてきてしまいます

縁側の床板や敷居の木も年季を感じます

井伊家の籠

そして、龍潭寺と言えばこちらの庭


みなさん、ゆっくり見とれていました

井伊家赤備具足(あかぞなえぐそく)

堂々の徳川四天王 井伊直政出生地碑

素敵な龍潭寺でした

井伊谷城とセットで行くと良いかと思います。
次回151城目は高天神城です!
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2023年01月19日
お城めぐり!149城目【足助城】
お城めぐりの149城目は、
愛知県豊田市にあります、足助城(別名:真弓城)です。

足助ですので、愛知県の方は紅葉で有名な香嵐渓でご存じかと思いますが、
その旧足助町にあります香嵐渓の近くにあるのに、あまり知られていない足助城。
中世の山城を再現しておりまして、想像で再建した櫓等の建物も数多くあり、
当時の中世山城はこんな感じだったんだろうな~って体感できる素晴らしいお城です。
足助城は南の丸近くまで車で行け、駐車場も坂道の途中に沢山ありますので、誰でも気軽に行けます。
入城門がこちら。こちらで入城料300円納めて中へ入ります。

足助城案内

縄張り図。整備されているのは本丸、西の丸、南の丸がある中心部。

いざ出陣

早速、正面に南の丸が現れますが、とても正面からは攻める事は出来ないので左右へ行くしかなさそう

左へ回り込むと南の丸腰曲輪


南の丸腰曲輪を抜け、西の丸へ向かう途中、左手に矢印が

左手に下りると井戸があります

見上げると西の丸の木柵が見えます。エグイ角度の切岸のせいもあり、かなりの高低差です。

下から見ていた木柵を登って、西の丸虎口前でチェック!

井戸方面を見下ろしたところ。足を踏み外すと右手の谷筋まで転がってしまいそうです。

西の丸へ攻めこみます

西の丸は東西に長細い曲輪で、東側には物見櫓が再現されています

西の先端からに更に西を見下ろすと西の丸腰曲輪があります

西の丸の西端から東(本丸方面)を望む。長細い曲輪だと良く分かります。

物見櫓へ

木造で当時を想像した作りを再現

物見櫓の説明

南の丸方面へ向かいます

南の丸へ向かう途中、左手に本丸を見上げるわけですが、その途中の僅から平な部分が本丸腰曲輪


南の丸虎口には跳ね上げ戸が待ち構えております


南の丸内部から見た跳ね上げ戸。当時の攻め込まれない為の工夫が分かり易く再現されています。

南の丸には台所があったそうで、厨(くりや)と呼ばれる台所となる建物が再現されていました




厨の説明

厨内部

掘っ建て柱ではなく、束石に柱が建てられおり

土間も土にて固められていました

南の丸の背後の物見櫓がある高台へ
橋の向こうが本丸。

高台から南の丸を見下ろすと三の丸厨の屋根が見えます

木橋を渡り、物見櫓を望む

本丸案内

本丸には高櫓と長屋の2棟が再現

本丸から物見櫓を望む

長屋と高櫓

長屋説明

長屋

高櫓へ入ります

やはり階段を再現すると当然急勾配になりますね。

階段を上がり2階へ

発掘調査維持の平面図

発掘時の平面図と↑同じだと良く分かる真上からの写真

高櫓から見た北西方面。山間の盆地に足助の街があることが良く分かります

同じく南

同じく東

これを見ると、私も知らない城がまだまだ山ほど・・・街道を抑えるかのような城の配置です。

高櫓を見ながら本丸を北へ下ります

下りると北曲輪があります


見上げると本丸と高櫓と長屋

南の丸の東側を通り抜け帰陣しました

行ったのは7年のゴールデンウィーク(ついに7年も前の城・・・って事は7年分丸々貯まっているのだな・・・)
ウグイスが鳴き、気持ち良い風がとても心地よかった記憶があります(7年も前ですがね)
写真に残っているので、トンボもいたみたいです(これは記憶が無かった・・・)

その後、3年くらい前に友人を連れて2回目の出陣となりましたが、
変わっていなかったので、今でも変わらず整備されて見やすい城になっていると思います。
中世山城を感じる事の出来る、素晴らしい城にて、
建物がなければただの城跡だと思う方にも、かなりオススメのお城です。
混みますが、秋に紅葉とセットで見るも良し!
私の様に空いている春に行くのも良し!
是非、攻めて見て下さい。
次回150城目は井伊谷城です!
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愛知県豊田市にあります、足助城(別名:真弓城)です。

足助ですので、愛知県の方は紅葉で有名な香嵐渓でご存じかと思いますが、
その旧足助町にあります香嵐渓の近くにあるのに、あまり知られていない足助城。
中世の山城を再現しておりまして、想像で再建した櫓等の建物も数多くあり、
当時の中世山城はこんな感じだったんだろうな~って体感できる素晴らしいお城です。
足助城は南の丸近くまで車で行け、駐車場も坂道の途中に沢山ありますので、誰でも気軽に行けます。
入城門がこちら。こちらで入城料300円納めて中へ入ります。

足助城案内

縄張り図。整備されているのは本丸、西の丸、南の丸がある中心部。

いざ出陣

早速、正面に南の丸が現れますが、とても正面からは攻める事は出来ないので左右へ行くしかなさそう

左へ回り込むと南の丸腰曲輪


南の丸腰曲輪を抜け、西の丸へ向かう途中、左手に矢印が

左手に下りると井戸があります

見上げると西の丸の木柵が見えます。エグイ角度の切岸のせいもあり、かなりの高低差です。

下から見ていた木柵を登って、西の丸虎口前でチェック!

井戸方面を見下ろしたところ。足を踏み外すと右手の谷筋まで転がってしまいそうです。

西の丸へ攻めこみます

西の丸は東西に長細い曲輪で、東側には物見櫓が再現されています

西の先端からに更に西を見下ろすと西の丸腰曲輪があります

西の丸の西端から東(本丸方面)を望む。長細い曲輪だと良く分かります。

物見櫓へ

木造で当時を想像した作りを再現

物見櫓の説明

南の丸方面へ向かいます

南の丸へ向かう途中、左手に本丸を見上げるわけですが、その途中の僅から平な部分が本丸腰曲輪


南の丸虎口には跳ね上げ戸が待ち構えております


南の丸内部から見た跳ね上げ戸。当時の攻め込まれない為の工夫が分かり易く再現されています。

南の丸には台所があったそうで、厨(くりや)と呼ばれる台所となる建物が再現されていました




厨の説明

厨内部

掘っ建て柱ではなく、束石に柱が建てられおり

土間も土にて固められていました

南の丸の背後の物見櫓がある高台へ
橋の向こうが本丸。

高台から南の丸を見下ろすと三の丸厨の屋根が見えます

木橋を渡り、物見櫓を望む

本丸案内

本丸には高櫓と長屋の2棟が再現

本丸から物見櫓を望む

長屋と高櫓

長屋説明

長屋

高櫓へ入ります

やはり階段を再現すると当然急勾配になりますね。

階段を上がり2階へ

発掘調査維持の平面図

発掘時の平面図と↑同じだと良く分かる真上からの写真

高櫓から見た北西方面。山間の盆地に足助の街があることが良く分かります

同じく南

同じく東

これを見ると、私も知らない城がまだまだ山ほど・・・街道を抑えるかのような城の配置です。

高櫓を見ながら本丸を北へ下ります

下りると北曲輪があります


見上げると本丸と高櫓と長屋

南の丸の東側を通り抜け帰陣しました

行ったのは7年のゴールデンウィーク(ついに7年も前の城・・・って事は7年分丸々貯まっているのだな・・・)
ウグイスが鳴き、気持ち良い風がとても心地よかった記憶があります(7年も前ですがね)
写真に残っているので、トンボもいたみたいです(これは記憶が無かった・・・)

その後、3年くらい前に友人を連れて2回目の出陣となりましたが、
変わっていなかったので、今でも変わらず整備されて見やすい城になっていると思います。
中世山城を感じる事の出来る、素晴らしい城にて、
建物がなければただの城跡だと思う方にも、かなりオススメのお城です。
混みますが、秋に紅葉とセットで見るも良し!
私の様に空いている春に行くのも良し!
是非、攻めて見て下さい。
次回150城目は井伊谷城です!
いわけん城めぐりマップ
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2022年12月01日
お城めぐり!148城目【石垣山城】
お城めぐりの148城目は、
神奈川県小田原市にあります、石垣山城です!

石垣山城は歴史の舞台としては無くてはならない城ですね。
秀吉が天下統一の総仕上げとして北条の小田原城を攻める為に築いた城として知られており、
石垣山一夜城として認識されている方も多いかと思いますが、実際は80日程度かかったそうです。
80日だとしても、総石垣の城を築くにはメチャクチャ短期間ですね。
国の史跡に指定されており、続日本100名城にも選定されております。
石垣山城へは過去2度行っておりますが、初めて攻めた時の石垣山城を紹介したいと思います。
6年前のゴールデンウィークに行きましたが、
JRの静岡方面のフリー切符、休日乗り放題切符(二川~熱海・富士~甲府がフリー)を利用して出陣!
東海道本線をひたすら東へ、石垣山城の最寄り駅の早川駅で下車(熱海から早川は乗車券を別途購入)

小田原駅の一つ西隣の早川駅

駅にある観光案内看板にはしっかり石垣山城を推しております

所々案内看板が出ているので迷う事はなかったです

駅近くは住宅が密集しており狭い路地を登ります

新幹線のガード下をくぐります。ガード名は石垣B

段々長閑な農地が広がって来ます

振り返るとまぁまぁ高いところまで登ってきてました

途中、伸びすぎて食べられないであろうタケノコを激写(6年前になると流石に記憶にあまりないが、写真をみて思い出す)

登る途中に土塀の見本や

石垣(野面積)の見本があったり

石垣山城にゆかりのある人物を紹介するパネルがあったりと、楽しみながら登れます
こちらは淀殿

そして秀吉

そして早川駅から40分くらいで、石垣山城のある石垣山一夜城歴史公園到着

公園案内図

東登口からは入らずそのまま奥へ素通りして

とりあえず目の前に飛び込んできた、南曲輪の石垣へ

立派な野面積の石垣です

出隅部分はまだ確立されていない算木積って感じですが、大きな石が用いられ1段ずつ左右交互に積まれてます。

西側

南曲輪の東側石垣に沿って進みます


案内看板

看板を東に進むと二の丸が広がります

奥の1段高いところが本丸

二の丸案内板

本丸下の石垣。一部が残ったり崩れたり

本丸へ

本丸虎口前から二ノ丸を見下ろす

同じ場所から右手の高台が本丸、左側の低いところが二の丸

ところどころ、こんな案内もあります

本丸!

きれいな花が咲いてました

本丸もかなり広い曲輪です

史跡石垣山の碑の向こうには

小田原城下が見下ろせます

展望台があり

小田原攻めの布陣があり、当時を想像できます

そして小田原城を望む

中央付近に天守が見えるの分かりますかね?小さくて分からないか・・・

本丸の西の奥に天守台があります

天守台

天守台から本丸を見る

天守台からさらに奥には西曲輪

二の丸へ戻り

そのまま抜け、東の展望台へ

そして井戸曲輪へ

井戸曲輪は低い窪地にあり、石垣に囲まれております

パノラマで撮影

下ります

井戸曲輪が周りより低い事がよくわかります

奥へは入れず

井戸曲輪案内板

再び二の丸を抜けがら、本丸を横目に

南曲輪へ

そして、南曲輪から石垣の石が崩れた道を下りて入口へ

徒歩で山を下ります。
登りは狭い農道、下りは車道で!小田原の街が一望

良く見ると天守が今度はハッキリ見えました

この後、秀吉気分で小田原城を攻めたのでありました。
小田原城以前UPしておりますのでこちらをご覧ください。
石垣山城は小田原城とセットで行くと良いですよ!
次回149城目は足助城です!
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神奈川県小田原市にあります、石垣山城です!

石垣山城は歴史の舞台としては無くてはならない城ですね。
秀吉が天下統一の総仕上げとして北条の小田原城を攻める為に築いた城として知られており、
石垣山一夜城として認識されている方も多いかと思いますが、実際は80日程度かかったそうです。
80日だとしても、総石垣の城を築くにはメチャクチャ短期間ですね。
国の史跡に指定されており、続日本100名城にも選定されております。
石垣山城へは過去2度行っておりますが、初めて攻めた時の石垣山城を紹介したいと思います。
6年前のゴールデンウィークに行きましたが、
JRの静岡方面のフリー切符、休日乗り放題切符(二川~熱海・富士~甲府がフリー)を利用して出陣!
東海道本線をひたすら東へ、石垣山城の最寄り駅の早川駅で下車(熱海から早川は乗車券を別途購入)

小田原駅の一つ西隣の早川駅

駅にある観光案内看板にはしっかり石垣山城を推しております

所々案内看板が出ているので迷う事はなかったです

駅近くは住宅が密集しており狭い路地を登ります

新幹線のガード下をくぐります。ガード名は石垣B

段々長閑な農地が広がって来ます

振り返るとまぁまぁ高いところまで登ってきてました

途中、伸びすぎて食べられないであろうタケノコを激写(6年前になると流石に記憶にあまりないが、写真をみて思い出す)

登る途中に土塀の見本や

石垣(野面積)の見本があったり

石垣山城にゆかりのある人物を紹介するパネルがあったりと、楽しみながら登れます
こちらは淀殿

そして秀吉

そして早川駅から40分くらいで、石垣山城のある石垣山一夜城歴史公園到着

公園案内図

東登口からは入らずそのまま奥へ素通りして

とりあえず目の前に飛び込んできた、南曲輪の石垣へ

立派な野面積の石垣です

出隅部分はまだ確立されていない算木積って感じですが、大きな石が用いられ1段ずつ左右交互に積まれてます。

西側

南曲輪の東側石垣に沿って進みます


案内看板

看板を東に進むと二の丸が広がります

奥の1段高いところが本丸

二の丸案内板

本丸下の石垣。一部が残ったり崩れたり

本丸へ

本丸虎口前から二ノ丸を見下ろす

同じ場所から右手の高台が本丸、左側の低いところが二の丸

ところどころ、こんな案内もあります

本丸!

きれいな花が咲いてました

本丸もかなり広い曲輪です

史跡石垣山の碑の向こうには

小田原城下が見下ろせます

展望台があり

小田原攻めの布陣があり、当時を想像できます

そして小田原城を望む

中央付近に天守が見えるの分かりますかね?小さくて分からないか・・・

本丸の西の奥に天守台があります

天守台

天守台から本丸を見る

天守台からさらに奥には西曲輪

二の丸へ戻り

そのまま抜け、東の展望台へ

そして井戸曲輪へ

井戸曲輪は低い窪地にあり、石垣に囲まれております

パノラマで撮影

下ります

井戸曲輪が周りより低い事がよくわかります

奥へは入れず

井戸曲輪案内板

再び二の丸を抜けがら、本丸を横目に

南曲輪へ

そして、南曲輪から石垣の石が崩れた道を下りて入口へ

徒歩で山を下ります。
登りは狭い農道、下りは車道で!小田原の街が一望

良く見ると天守が今度はハッキリ見えました

この後、秀吉気分で小田原城を攻めたのでありました。
小田原城以前UPしておりますのでこちらをご覧ください。
石垣山城は小田原城とセットで行くと良いですよ!
次回149城目は足助城です!
いわけん城めぐりマップ
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